わたしのわらばんしぃ

藁半紙には下書きを。心のにごり書き。自分の為に涙する。

20181123の覚書・祈り

(イメージBGMはゼノブレイド2の "Drifting Soul" )

 

 

「努力してるポーズ」のその先。

褒められたかった。

価値を認めて欲しかった。

愛して欲しかった。

 

努力しても「当たり前」とだけ。

成果は出して当然。

誰かを手伝えば、お礼は言われるが恩に感じてもらえない。

誰かに何かをお願いしても誰も応えない、近寄らない。

 

なのに、自分の人となりを誰かに訊ねれば

「真面目そう」「優しい」「頑張ってる」「成長してる」

だけど言葉だけ。態度や行動には表れない。

 

努力してなくても

「真面目そう」「優しい」「頑張ってる」「成長してる」

と言われる。

もともと頑張ってそうな奴が頑張ったって評価には値しない。

成果を出しても評価しない。

 

報われない。

報われない。

報われない。

 

 

23年間、傍若無人な父親に振り回される母親の味方をしてきた。手伝ってやれることは手伝ってきた。

24年目、その母親から、笑って

「あんたは産むつもりなかった」

と言われた。

 

その年初めて自殺した。

道路に飛び出したが死に損なった。

昼下がり、人の往来の中涙と鼻水を垂らしながら銀行に入っていったのを今でも覚えている。

 

それ以来自分の欲の形がわからなくなった。

あるのはわずかな復讐心。

のし上がって、大きく変わって

「お前ら俺を見ろ!馬鹿にしやがって!蔑ろにしやがって!」

と叫びたい気持ち。

見下したい気持ち。

 

だけど頭が理解してしまっている。

「もう誰も、いやそもそも初めから俺のことなど誰も見ていなかった」 

皆自分の人生を歩んでいる。

自分の欲の形に従って生きている。

俺なんか見向きもしない。

 

俺の欲の形は母親と周囲の人間に向いていたんだと思う。

だけどその母親にはどれだけ献身を、愛情を、甘えを尽くしても報われないのだと知った。

あの人は、あの人の愛したいように子供を愛するだけ。

そうして

「自分は立派に子供を愛した」

という自負に酔いしれるだけ。

 

他人はどんどん大人になって、ますます自分のことだけに集中するようになる年齢だ。

俺も本来ならそうなるべきだったんだ。

 

だけど、もう、何もない。

これから作り上げようとしても、他人のために作り上げるものに意味はない。

他人はそもそもこちらなど見ていないのだから。

あれだけ努力しても、誰も俺を評価しなかった。

成果を出しても、俺の扱いが変わることはなかった。

 

努力しても報われない。

いや、努力しても自分が自分に報いてやれない。

自分の喜びが、自分以外のものに大きく左右されてしまうから。

 

何のために生きる。

これからどう生きる。

自分のものなんて何一つない状態で。

 

誰が救ってくれる。

どう救ってくれる。

誰が救ってくれる?

 

 

全ての努力する人へ。

自己改善により人生をよくいきたい人たちへ。

どうか、その欲が満たされますよう。

どうか、その願いが叶いますよう。

悪も善も清も濁も常識も非常識も含めて。

全ての「生きる甲斐」が成し遂げられますよう。

 

 

 

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《祈り》

「より良くありたい」

という全ての欲(願い)が満たされますよう。

《予祝》

自分のための欲の形が見つかり、それに没頭出来るようになりました。ありがとうございます。

(前の予祝は本当の願いではなかったので消しました)